次代への羅針盤
自分で自分を売り込むくらいの気概を
丸岡啓二
強烈なカルチャーショック
転機といえば、1977年にハワイ大学の大学院博士課程に転じたことも、後の私に大きな影響を与えました。ここで私はスペルミジンアルカロイドの合成に取り組み、フラスコの中で自分のデザインした有機合成反応が思いどおりに実現し、しかも反応フラスコ内で望みの生成物がキラキラした結晶で出てくるさまを体験しました。その日の夜、私は一睡もできないほど興奮状態でした。あれだけの喜びを体験したのは、後にも先にもこのときだけです。
一方で私は、カルチャーショックも受けました。私の学生時代、京都にはスーパーマーケットなど見られませんでした。ところが、アメリカにはすでに巨大なスーパーマーケットがあり、お客さんはカートを使って大量の買い物をして、レジではバーコードリーダーが使われていました。大学では、拡大、縮小機能のあるコピー機も普通に使われており、いずれも当時の日本ではまだ見たことのない新鮮な光景だったことを覚えています。また、日系人の多いハワイでも、白人が「イエローとは話をしたくない」と公言する場面もあり、差別を受ける側に立たされたカルチャーショックはなかなか強烈でした。
こういった経験は日本ではできませんし、感受性が強い若い頃にこそ体験したほうがよいと思います。しかし、残念ながら最近は海外に行きたがらない若い人も多いようです。金魚鉢の中では、大きな魚に育ちません。若い人は自分の殻を破り、もっと海外に出ていくべきでしょう。