伝説のテクノロジー
セルラーゼに魅せられ、氷河期を乗り越えて続けた研究
森川康さん
出張もパソコン購入も自腹で
その間に森川さんは、協和発酵から長岡技術科学大学に転じていた。1991年のことだ。研究所から本社へと異動になり、研究現場を離れることになったのがきっかけだった。森川さんはあくまでも研究現場に身をおきたかったのだ。そして長岡技術科学大学に移ると、セルラーゼの研究にさらに打ち込んだ。
けれども時代は“バイオマス氷河期”に入っていた。
「日本でも細々とセルラーゼの研究をしている人は他にもいました。だから孤立感はありませんでした。ただ、とにかく貧乏研究室でした。一番厳しかったときは、大学から出る研究費が年間300万円ほど。科研費など外部から入るものを入れても総額で500万円ほどでした。これではとても足りません。パソコンの購入費とか出張費の一部などは、自腹でした」
何とか研究費を獲得しようと、補助金の申請などにも奔走した。もともとそういうことが得意ではない森川さんにとって、それは決して楽しいことではなかった。それでも研究は面白かったので、森川さん自身の熱が冷めることは全くなかった。菌を培養して、培養液からいろいろな酵素を精製して機能を調べたり、それらの酵素の遺伝子を単離するなど地道な作業を繰り返す日々が続いた。
やがて地球環境問題がクローズアップされるようになってくると、ようやく氷河期にも終わりが来る。1997年、京都議定書が採択されると、日本でも再びバイオマスに関わる研究が活発化してきたのだ。
「1980年代の末から90年代の終わり頃にかけては、まさに失われた10年でした。でも、99年ごろからは、研究費も少しずつ上向いてきました」
2002年には政府がバイオマス日本総合戦略を閣議決定。2008年には、バイオ燃料技術革新計画も作成された。森川さんもこうしたプロジェクトには積極的に関わり、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が2008年から進めている加速的先導技術開発では「酵素糖化・効率的発酵に資する基盤研究」のプロジェクトリーダーを務めている。
「市販されている糖化用酵素では、海外で開発されたCellicCTec2が最もいいとされています。しかし私たちが開発したJN13は糖化能力でCellicCTec2を上回っています。現在はJN13を基礎に改良を続け、フラスコレベルではなくタンクレベルで生産する研究を進めています。2012年の3月までにはタンクレベルでつくれるようにする計画です。これが成功すれば、先行していた米国に追いつき追い越すことも可能だと思っています」