伝説のテクノロジー
日本独自の鍛造(たんぞう)技術で鉋(かんな)をつくる
鉋職人 魚住 徹さん
伝統技法と近代製法を融合
ただ、こういう錬鉄を今はつくることができない。したがって古い時代につくられたものを探して使うしかない。だが、どこにそういう錬鉄があるかはわからない。瀬戸内海などにはこの錬鉄で錨の鎖をつくった古船がたくさん沈んでいるとも言われる。時折そういう船を引き上げたという連絡が、古鉄業者などから入る。すると魚住さんはそれを見に行き、鉋の刃に使えると判断するとそれを購入する。まるで宝探しである。常三郎には今、そんな古い錬鉄の在庫が10トンほどある。年間に使う錬鉄の量は500キロほどだから、あと20年は持つ計算だ。
ところで、鉋の刃の裏側は中央部分が微妙にへこんでいる。このへこみがあるから軽い力で木を削ることができるのだ。鉋に限らず刺身包丁や出刃包丁、鑿(のみ)や小刀など片刃の刃物はたいていそうなっている。魚住さんは一度、へこみのない刃をつくったことがある。だが、それでは思い切り力を入れてもなかなか木を削ることはできなかった。こういうところは古くから伝わる鉋づくりの奥義だ。
一方で魚住さんは、新しい技術の導入にも前向きだ。たとえば従来の鉋では集成材を削るのは難しかったが、機械を使って加工することで、それも削れる鉋を開発した。古くから伝わる鉋づくりの奥義と近代技術を融合させているのである。
もともと魚住さんは機械メーカーに勤めていた。祖父の代から続く常三郎を継ぐ気はなかったと言う。ところが常三郎の経営が悪化し赤字が膨らんだのを機に、35歳で3代目として家業を継ぐことを決断したのだった。もっともそのときも「やるだけやってだめなら諦めよう」「借金を返したら辞めよう」という気持ちだった。