伝説のテクノロジー
ミシンが織りなす芸術性
針が上下だけでなく横にも動くことで立体的な表現ができる横振り刺繍。そこには見る者の魂を揺さぶる何かがある。
刺繍作家・大澤紀代美さん
私が芸術にしてみせよう
もう50年近く前のことだ。まだ30代だった大澤紀代美さんはある日、知り合いの画商からこう声をかけられた。「美術展に出してみないか」
全国から出展者を募る日本でも有数の美術展に、作品を出してみないかというのだ。大澤さんの作品をその画商は高く評価していたのである。
だが、出展を打診すると、美術展の主催者からはこんな答えが返ってきた。「お断りします」
機械(ミシン)を使うものは工業製品であり、芸術ではない、というのが理由であった。
これにカチンときた大澤さんは、心の中でこう独りごちた。「だったら、私が芸術にしてみせようじゃないの」
大澤さんの負けじ魂に火がついた瞬間であった。
桐生市の裕福な家庭で生まれ育った大澤さんは、3歳の頃から鉛筆を離さず何かしら絵を描いていた。
いつかは画家になる――。
それが少女の頃の大澤さんの夢だった。
転機が訪れたのは17歳のときだ。知り合いの工場に誘われ初めて横振り刺繍というものを知り、その製作現場を見た大澤さんは、直感的に思った。
これは私の仕事だ!「ミシンの“針”が絵筆で、“糸”が絵の具。だったらこれで絵が描けるじゃないか。そう思ったんです。横振り刺繍に一目惚れしちゃったんですね」
一般のミシンは、針が上下に動くだけであるのに対し、横振り刺繍ミシンは針が上下だけでなく左右にも動く。縦だけでなく横にも動くから、横振りというわけである。